みやぎ「赤旗」自然・山愛好会


   

 

      

奇妙な当たり年

 「投稿」 2,023年6月25日(日)
                               

6月4日に禿岳、16に猫魔ガ岳を訪れた。どちらも初めての山だ。禿岳の尾根道や山頂から眺める山麓一帯が盆地のようだった。今まで鬼首の地形には全く無関心だったが、調ベて「鬼首カルデラ」だと知った。50年以上前に阿蘇のカルデラを目にした事があるが、何も頭には残っていない。今回「鬼首カルデラ」を目にして新鮮で面白いと感じた。次は花淵山方面から眺めたいものだ。

梅雨の晴れ間の猫魔ガ岳、こちらも眼下に猪苗代や檜原湖などが気持ちよく広がっていた。歩き始めに広がるブナ林は中級の規模だが、なかなか爽やかだった。ギンリョウソウ やユキサがけっこう咲き、山頂付近はシャクナゲやタニウツギもまだ咲き残っていた。

毎年6月は面白山と泉ヶ岳を中心に5回程根曲がり竹を採っている。もう30年以上楽しんでいるが、根曲がり竹を採る人に出会った事は殆どない。面白山で極偶に会うだけで宮城の山で会ったことはない。ところが今年は禿、猫、泉で合計4回も出会った。出会った だけではなく、根曲がり竹であれこれと一寸話までした。

出会ったからといって何か意味があるわけではない。ただ30年以上無かったことが短期間で4回も起こった。それも皆が根曲がり竹を採るのは初めての人だった。今年に限って出会うような特別な理由があるわけでない。こちらも筍取りをする人に出会いたいなどとは微塵も期待してはいないし、話をしたいと思っているわけでもない。全く奇妙な「当たり年」と言うほかはないが、同じ山菜でも「わらび」「たら」「うど」などは、けっこう話になったりする。だから余り新鮮さや面白さを感じたりしないが、根曲がり竹は実体験に基づいての話はあまりしない。ほんの一寸の会話だったが貴重で楽しかった。

私は山では山関連の話以外はノイズ位に思っている。昔、山を一緒に歩いていて山とは全く無関係の話題ばっかりに熱心の人がいた。五感や関心は山以外にあるわけだ。そんな話を耳にしながらの山歩きは苦痛ですらある。好みの問題で別段強く批判するつもりはない。ただそんな人は翌年同じ道を歩いても、去年自分が歩いた道なのを覚えてなかったりして哑然とするばかりだ。どうしようもない違和感だけが体中に広がっていくのを覚える




*大谷のホームランは奇妙でも何でもない当然の当たり年です。